たけちゃん、うめちゃん、まっちゃん、皆おいでおいで~
向こうで鋳掛屋のおっさんが仕事しとるやろ、向こう行って遊べへんか、何言うてんねん、わいがおるから大丈夫や、皆行こ行こ~
鋳掛け屋のおっさーんー
ほら来やがった。ホンマにここらの子せがれは、どいつもこいつも悪い奴ばっかり揃てけつかる、迂闊にもの言うたら仕事も何ぁんにもさしよれへん。
おいこら、そっち行け、そっち行けちゅうてんねや。
おっさん今日は、お前らの相手してられへん、仕事がぎょーさんつかえてるんや、向こうへお行き。
もう何十年も昔の話をします、ボクが中学生の頃の話。
ボクが通っていた学校には、当時中学校としては珍しい「落研」が有りました、1年上の先輩達が作ったクラブです、
どんなきっかけだったかはもう覚えていませんが、ボクはその落研に入部することにしたのです。
ボクは小さい頃から、冗談を言って友達を笑わせるのが好きで、恐らくそんな事がきっかけだったのだと思います。
当時、関西のTV局では「素人参加番組」が沢山ありました、今よりもマスコミと庶民の垣根がずっと低かった時代です。
そんな中でもアマチュア落語家の登竜門として一目置かれていた番組で、毎日放送の「素人名人会」が有りました。
応募すれば誰でも出られる訳ではありません、出場するには厳しい予選があったのです。
中学2年生のころ、若干14歳のボクはこの「素人名人会」に出てみたくて、ダメ元で応募しました。
そしてダメ元で予選を受けてみたところ、何とラッキーにも合格してしまったのです。
中学生で落語をするというのが、珍しいかったからかも知れません。
そして、いよいよ本番の日が来ました。
出し物は、子供が出てくるネタが良かろうという事で「鋳掛屋」にしました。
当時、ボクはまだ声変わりしておらず女の子のような声だったから、このネタにしたのを覚えています。
収録は「うめだ花月」という劇場でした、ボクは集合時間よりも早く行って、客席で「吉本新喜劇」を見ていました。
大阪ではTVで頻繁に放送されてますから、吉本新喜劇を知らない人は居ないぐらい有名です。
ボクは実際の舞台を生で見たのは、その時が初めてでした。
「くっさー、えげつなー」奥目の八ちゃんのギャグを見ました、面白かったなぁ…
そうこうしている内に気が付いて時計を見ると、集合時間を過ぎていました。
ボクは慌てて舞台裏の集合場所に向かいました。
集合場所には、もう既に出演者や審査員の先生方が全員揃っていました、米朝師匠に叱られたのはその時です、師匠は落語部門の審査員でした。
「君か、中学生で落語をする子は、集合時間に遅れたらアカンやないか、スタッフの人が慌てて探してたんやで」
ボクは尊敬する米朝師匠にいきなり叱られて、恐縮して平謝り状態でした。
「今日の出し物は鋳掛屋やな、落ち着いてやりや」
そんな風な、優しい激励も頂だいた事を覚えています。
まぁ、そんな感じで憧れの「素人名人会」の舞台で若干14歳のボクは、一生懸命に下手な落語を演じました、結果は残念ながら「名人賞」は取れませんでした、その次の「うまいで賞」だったと思います。
結局ボクが落語をやっていたのは、中学の3年間だけでした。
そして米朝師匠とお会いしたのも、後にも先にもこれ一度きりです、あちらは記憶の片隅にも残っていないと思いますが、ボクは今でもその時の事を鮮明に覚えています。
重ね重ね、ご冥福をお祈り申し上げます。